1/27(土) 14:53配信
1974年から75年にかけて起きた連続企業爆破事件に関与し指名手配され、およそ50年逃亡を続けていた桐島聡容疑者とみられる男が警視庁に確保されたことがわかりました。男は末期がんで入院をしていて「最期は本名で迎えたい」と話しているということです。
【写真を見る】被害者家族「罪を償って…」半世紀にわたり逃亡、桐島聡容疑者か 身柄確保の一報に 元過激派メンバーは「生きてて良かった」【news23】
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犯行に及んでいたのは過激派「東アジア反日武装戦線」です。
当時、大学生だった桐島容疑者もこの組織のメンバーで、1975年4月、東京・銀座のビルにあった「韓国産業経済研究所」の入り口ドアに手製爆弾を仕掛け、爆発させたとして、指名手配されていました。
元警視庁捜査員 戸島国雄さん
「現場は戦場のようだった。時間が経つにつれ、ガラスがひらひら落ちて、二次被害が大きかった」
元警視庁捜査員の戸島さんは当時、複数の現場で鑑識作業に当たりました。
元警視庁捜査員 戸島さん
「丸い爆発した缶の跡が残っていたが、何が爆発したのか、何が目的なのかわからなかった。それが第一印象。火薬が何でできているのか研究した。身近なもので、ああいう爆弾ができていた」
これは「東アジア反日武装戦線」のメンバーがアジトにしていたと見られるアパート。
作りかけの爆弾などが見つかっていて、床下には大きな空間も確認できます。
メンバーらは秘密の地下室を作り、爆弾を製造するなど、周到に計画を準備していたとされています。
元警視庁捜査員 戸島さん
「人数は少ないが広範囲に動いていたので、なかなかおさえられなかった。隠密というか静かにやっていた」
一連の事件では1975年に容疑者8人が一斉逮捕されています。
戸島さんは、桐島容疑者が半世紀にわたり逃亡し続けられた背景をこう分析します。
元警視庁捜査員 戸島さん
「追われる身は毎日服装を変える。自分の普段の生活習慣を変えて、人相は同じでも風体を変えて、くせを変える」
■元過激派メンバー「生きていて良かった」「会って話がしたい」
桐島容疑者とみられる男の身柄確保の一報を受けて、当時、「東アジア反日武装戦線」で活動していた男性がJNNの取材に応じました。
「東アジア反日武装戦線」の元メンバー
「40年以上会っていませんからね。ただただ驚いている。まだ信じられないです。とにかく会いたい。会って話をしたい。生きていてよかった」
一方、一連の爆破事件で夫が負傷した女性は…
夫が爆破事件で負傷した女性
「(夫は)2~3日は生死の間をさまよって、体中包帯をまかれてね。すごく鮮明に、ショックだったから覚えています」
その後、一命を取り留めた夫は、10年前に病気で亡くなりました。
夫が爆破事件で負傷した女性
「さっき仏壇にお線香をあげた。まだ犯人がいて見つかったみたいよと報告した。自分で申し出たからわかったけど、罪を償っていただきたい」
(略)
※全文はソースで
引用元: ・(東アジア反日武装戦線) 被害者家族「罪を償って…」 元過激派メンバー「生きていて良かった」「会って話がしたい」 [少考さん★]
今のうちに拷問しておいた方がいいな
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